「元気じゃなくてもいいから生きていてほしい」 精神科医・宮地尚子に聞く、“傷を抱えながら生きる”ということ

宮地尚子『傷のあわい』インタビュー
宮地尚子『傷のあわい』(ちくま文庫)

 『傷を愛せるか』の著者である精神科医・宮地尚子の原点となるエスノグラフィー『傷のあわい』が、2025年4月10日に筑摩書房にて文庫化された。

 同書は、著者がボストン留学中に出会った人たちの語りに耳を傾け、生きるということを同じ目線で考えた記録だ。米国で何者かになろうと海を越えた青年、夫の海外転勤に合わせて渡米した女性、人生に詰んで海外へ拠点を移した男性ーー。異国の地で、不安定さや傷つきに揺れながらも、そのとき成しえる最良の力で人生にぶつかっていく人々の物語は、奈倉有里が解説で「読んでいるとまるで自分もその人たちと知り合ったような感覚になる」と寄せたように、つらい話が多いにも関わらず、不思議と親しみを感じられる。

 本書が文庫化されたことを受けて、宮地尚子に本書を著した理由や、傷を抱えながら生きていくことへの見解を聞いた。(編集部)


傷ついたり傷つけられたりすることは、その後の人生でも続いていく

――『傷のあわい』は、宮地さんがボストン留学中に出会った人たちを中心にした「病いの物語」であり、医療文化人類学によれば、病いを語り、傷つきを物語化することで回復につながっていくのだと、「はじめに」に書かれています。

宮地尚子(以下、宮地):私が医療人類学を学んだきっかけは、ハーバード大学の研究者であり精神科医でもあるアーサー・クラインマンの『The Illness Narratives(邦題:病いの語り:慢性の病いをめぐる臨床人類学)』を読んだこと。医療の現場では、患者さんの症状だけをみるのではなく、その背後にある人生のストーリーを聞くことが必要であり、それをナラティブ(物語/語り)として書き残すことが重要だと教えられたのです。実際、その本には患者さんの語りが鮮やかに書き残されていて、読みながら一緒にハラハラしたりつらくなったりさせられるうち、病いを克服する過程や、病いとともに生きるとはどういうことなのかに対する理解が深まっていきました。私もいつか、そういうエスノグラフィー(民族誌)を書きたい、と思っていたんです。その後、アーサー・クラインマンのもとに客員研究員として留学し、本書のもととなるインタビュー調査を行うことができました。

――本書の文庫版まえがきには「物語化」に対する躊躇も書かれていますね。〈物語化することでそれぞれの人を単純化してしまっていないか、私の解釈を押し付けてはいないか〉と。

宮地:ある程度の客観性をもち、解釈しすぎずに、ひとつのまとまりとして描くということが、物語化においては重要だと思っています。ただ、本書でもいろんな方々にインタビューしてまとめてはいるものの、結末はすべて開かれているんですよ。臨床の現場にはそもそも終わりがなく、あくまで私たちはその人の人生をその瞬間、垣間見させてもらっているだけ。そのときどきで病いや傷つきに一区切りはつけられるけれど、その後どうなるかは誰にもわからないんです。

 とくに本書は、私のボストン留学時代(1989~92)に、精神科医としてではなく一人のインタビュアーとしてお話をうかがった方々についてまとめているので、すべてを語ってくれていたとは限らないし、その後どうなったのかを知るすべもない。読み物としてのまとまりはつくりたいけれど、その人たちの人生にわかりやすいオチをつけたくはない。そのせめぎあいのなかで、書いていました。

――実際に、インタビューしてみて、物語化することの効用は実感されましたか。

宮地:安全で安心できる状況であるということが大前提ではありますが、抱えているものを声に出して言語化することによって、少しずつ整理されたり理解できるようになっていくことはあるんだな、と思いました。途中で話を遮って、質問やアドバイスをするよりも、その人が語りたいように語るということが、まずは大事なのだと。心を開くというのは、危険がともなう行為でもあるので、人はふだん、自分の情報をどの程度シェアするべきなのか、選択しながら他者と接しています。そのなかで、誰にもわかってもらえないと孤独を募らせることもあるでしょう。心おきなく語れる場をもつということ自体、とても貴重なのだと思います。

――最初に語られているのがまさに「孤独の物語」でした。夫婦でアメリカに移住して、仕事をもたず、言葉も話せず、運転もできない妻には夫しか頼る人がいないのに、きつく当たられてどんどん心が蝕まれていく。30年以上も前のインタビューですが、現代に通じる物語で、同じ孤独を抱える人は今もたくさんいるだろうな、と胸が痛みました。

宮地:海外に暮らしていて、異文化に接すること自体は、実はそこまでつらくなかったりするんですよね。最初から「自分と違うのはあたりまえ」と思えるから、受け入れやすい。でも、日本人同士なのに、家族なのに、「同じ」であるはずなのにすれ違い、わかりあえないことがとても苦しい。誰かと一緒にいるからこその孤独、というのもあると思います。

――一方で、隣人から突然散弾銃で撃たれて、術後もシャワーを浴びるたびにぽろぽろと残弾が落ちてくるという、文化の違いというだけでは納得しきれない、PTSDを抱えた方も登場します。衝撃的でした。

宮地:怖いですよね。私も、そんなことがあるのかと驚きました。

――そのPTSD(トラウマ)を乗り越えたところで、彼の心がすべてリセットされるわけではない、ということも印象的でした。あたりまえですけど、それ以前に受けていた傷が消えるわけではないし、傷つきには一つひとつ向き合っていかなければいけないのだと。

宮地:この本が最初に刊行されたのは2002年。トラウマやPTSDという言葉が日本で普及し始めたのはそのあたりですが、認知されたらされたで、治療すれば簡単に癒せるものという誤解も広まってしまった気がするんですよね。でも人は、おっしゃるとおり、過去に受けたいろんな傷を抱えながら生きていくしかない。彼が、散弾銃で撃たれたPTSDを乗り越えたからといって、他の傷ついた経験がなくなるわけではないし、たとえば家族との関係で傷つき続けてきたことや、別の何かが原因で背負っている劣等感みたいなものまで、一緒に拭い去れるわけではない。大なり小なり、傷ついたり傷つけられたりすることは、その後の人生でも続いていくし、傷の手当て(ケアという言葉を使ってもいいかもしれません)をくりかえしながら、「今」を守っていくしかない。だから、個人的には、「癒し」という言葉をあまり安易に使いたくないと思っています。

――誰かが傷ついている、という状況に耐えられない人も、多いですよね。だから「そんなに傷ついているなら治療してもらいなよ」とか「いつまでも引きずっていないで」と言ってしまったりもする。

宮地:ずっと以前、「取り乱す権利」というエッセイを発表したことがあるのですが、たとえば大きな病気が見つかったとき、余命を宣告されたときに、感情的になりすぎてはいけないような空気ってありますよね。あるいは、患者が取り乱す可能性があるから、告知をするべきではないと、まわりが勝手に配慮してしまうことも。そんなふうに、医療の現場で死にゆく人からもっとも奪われているのは「取り乱す権利」なのではないかと書いたんです。傷つくことも同じで、まわりが平静ではいられなくなるから「見せないようにしてほしい」という傾向があるような気がします。他人の傷つきに敏感な人ほど、自分が何かしてしまったのではないかとか、何もしてあげられなかったと、自分を責めてしまいがちですし。

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